記憶力アップのプロ 松井達治が 皆様の想いを叶えます。

アクティブ・ブレイン協会マスター講師松井達治

《プロフィール》

松井達治(まついたつじ)

薬剤師

合同会社 想真(そうま)代表

〈想真の由来は子供の名前と想いを真実にするためにというおもいから〉

株式会社松井商会 代表取締役

アクティブ・ブレイン・協会 認定講師 NO88

マスター講師(認定講師の中で一定基準の受講生を超えた講師)

読書法認定講師 

学習法講師

アクティブダイエット講師

ABアカデミー認定トレーナー

大分県中小企業支援アドバイザー

大分県人権問題講師団

別府市倫理法人会事務長

 

1973年7月23日 

福岡市にて生まれる。

2歳より大分県別府市にて過ごす。中部中学校、大分県立鶴見丘高校を卒業後、埼玉県 坂戸市にある、最近箱根駅伝でも常連となっている城西大学薬学部を卒業後、大手漢方薬局、調剤薬局パルオネストを経て

2002年に父の経営する株式会社松井商会に入社。2004年に父親の死去により、代表取締役に就任、歯科医院様や歯科技工所に商品を販売、セミナーや情報提供に努める。

2014年の11月〜想いを叶えるお手伝い〜 想叶(そうか) 設立 現在に至る。

 

《誰のために役に立つのか》

【アクティブブレインセミナー】

小学校五年生から、80代の方まで

受験生、資格試験を受ける予定の方。

学生、経営者、サラリーマン、教師、士業、師業の方。また、最近記憶力が衰えてきた、固有名詞が出なくなった方。

今よりイキイキした人生を過ごしたい方。

自分の殻を破りたい方にオススメします。

 

【セルフリーダーシッププログラム】

企業内の研修及び、幹部研修です。

また、各種団体、スタディーグループ。

 

著書

「顔と名前を憶える本」 Amazon kindleより

 

主な講演・セミナー履歴

企業研修・企業講演会

 

⭐️日本ビスカ株式会社様(東京都)SLP

 

⭐️株式会社アヤラ産業様(栃木県)ABS

 

⭐️JA大分様(大分県)講演会・研修

 

⭐️K歯科医院様(大分県)ABS

⭐️株式会社シオダ様(栃木県)ABS・講演会

 

⭐️株式会社石田歯科商会様(北海道)ABS

 

⭐️S歯科医院様(熊本県)ABS

 

 

講演会(学校・学術団体・公民館・奉仕団体)

⭐️株式会社シオダ様(栃木県)

 

⭐️朝倉歯科医師会様(福岡県)

 

⭐️有歯会様(熊本県)2回

 

⭐️川添公民館様(大分県)

 

⭐️宮川内ハイランド公民館(大分県)

 

⭐️個人の方主催講演会(大分県)

 

⭐️広内公民館健康講座(大分県)

 

⭐️大分市立明治小学校(大分県)

⭐️大分県立国東高校普通科(大分県)

 

⭐️別府北ロータリークラブ様(大分県)

 

⭐️甘木ロータリークラブ様(福岡県)

 

⭐️中津中央ロータリークラブ様(大分県)

 

⭐️大分県測量設計コンサルタンツ協会様(大分県)

 

⭐️日本歯科プロアシスタントルクールPAS様(東京都)

 

⭐️別府市倫理法人会講話(大分県)

⭐️大分市立明野北小学校(大分県)

 

セミナー実績

 

 

 

 

⭐️アクティブ・ブレイン・ベーシックセミナー

 

 開催地 大分・福岡・熊本・長崎・佐賀・
 宮崎・北九州・松山・名古屋・東京・栃木・北海道

 

 合計

 

⭐️アクティブブレイン体験会

 

⭐️アクティブブレイン学習法

 

⭐️アクティブブレイン読書法

 

⭐️アクティブダイエットセミナー

 

⭐️アクティブをもっと楽しむかい?

 

⭐️日本歯科新聞社様主催セミナー(東京都)

 

⭐️森ゼミ 別府境川校主催

 

⭐️日本プロアシスタントルクール(PAS)講演

 

⭐️モーニングBIZ(福岡県)

 

⭐️パッションリーダーズKYUSYU Branch アカデミーセミナー

⭐️️大人のコミュニケーションセミナー基礎編・実践編(大分・福岡県)
 岩川義枝様と共演

 

⭐️️人生をよりよく生きるヒント(大分県)
 竹下幸喜様、進美保子様と共演

 

 


 

年間100日以上の講演やセミナーをおこなう。

 

 

出演履歴

*OBSラジオ「BINGO」チャレンジトゥーザフューチャー出演

*OAB大分朝日放送「5スタ」

 

 

《アクティブ・ブレイン・セミナーとの出会い》

 大分で開催された小田全宏会長の開催した、ベーシックコースを受講しました。当時、セミナーを紹介を受けた時に、内容を把握せずに受講生の中にもよくわからないけど、勧められて受けた。という人も多いと思いますが、そのような状態でした。

そして、雷に打たれたような衝撃を受けました。

素晴らしい、みんなができるようになる。本当に嬉しい限りでした。

その後、私のいる、歯科業界、苦労して合格した薬剤師業界、そして、九州を始め地元に少しでも貢献できればと思い、アドバンスコースを受講後に認定講師になる決断をしました。

 

 

 

長い自己紹介です。

 

エピソード0

 

 

 

こんにちは、松井達治です。

 

湯の街別府からお届けしております。

 

アクティブ・ブレイン協会の認定講師をしております。

 

記憶術の講師をしているから「昔から記憶力良いでしょ?」って言われます。

 

頭も良いし優秀な方だから講師になれたんだよね。と言われます。

 

普通はそう思いますよね。あの人は特別だから。という感じでしょうか?

 

これがかなり違っていまして、記憶、ダメダメでした。

 

記憶することが本当に苦手でした。同級生なら頷いてもらえます。(笑)

 

まずはじめに、そのお話をさせてください。

 

恥ずかしい話ですが、成績が悪かった話もしますね。(初公開)

 

自分の生い立ちから話をさせていただきます。

 

小学生は、勉強ができるように見せていました。

 

小さい頃、ありがたいことに両親から、いろいろと教育をしていただきました。

 

父は九州大学を現役合格、そして卒業してますので、長男として、親父と同じ道を進みたいと思っていました。

 

勉強と同時に運動も父はすごかったのです。中学の時に別府市で短距離と走り幅跳びは3位と言っていました。

 

そんな私でしたが、走るのは苦手、クラスでは下から3番手くらいでした。

 

鈍足です。野球を始めましたが、センスがないと言われてました。ミートすることは得意でしたが、いつも野球では叱られていました。毎日叱られて嫌でしたが、野球は楽しかったので、続けました。

 

チームは初め弱かったのですが、いっぱい練習をしたので、6年生の時は別府市で3位にもなりました。当時とにかく野球の時代でしたので、みんな野球をやっていました。

 

負けた時にみんなで悔し泣きをしたことを覚えてます。今考えてみると種目は違えど、最後の大会は小中高すべて泣いてました。(泣き虫なんです。)最近は、高校野球や、中体連などを見ると泣けます。

 

当時短距離は苦手でしたが、長距離は早くなりました。

 

勉強はというと、塾に小さい頃は行っていました。でもできた方ではなく、

 

苦労しました。特に記憶に対しては、「自分で覚えた」と感じたのは小学校5年生と6年生の時に日本地図と世界地図を覚えた時くらいです。この時がマックスでした。あとはというと、「特にパッとせず」でした。

 

父によく勉強を教えてもらっていましたが、父は「何故わからないのか?」と言われてよく叱られました。特に数学は厳しかった。中学校に入ったら、成績はだんだん下がっていきました。今から考えてみると、勉強することに対して楽しみがなくなったのです。

 

そんな時中学校2年生の初めの頃、ある通信模試を受けました。その時が今考えてみればきっかけでした。出来は正直、イマイチでしたが、その時のカウンセリングのお話が良かったのです。あなたは何故とか?どうすればということを考える事がよくできており、勉強の仕方が悪いだけです。潜在能力はありますよ。と言われた気がします。今となっては、営業トークだったのかもしれませんが、それから塾に行くようにもなりました。

 

それなりに成績も上がり大分県で公立の高校に進学しました。そこでの成績は普通。5教科は苦手でしたがその他4教科は得意でした。

 

自信がありました。特に体育と音楽は好きでした。

 

 

 

エピソード1

 

 

 

そんな私ですが、国語と、歴史が苦手で、後の教科がましということで、

 

2年生から理系に進むことになりました。

 

また、体育会ではテニス部に入りました。中学の頃別府市の軟式テニスで優勝しました。そこで、高校では硬式テニス部に入りました。

 

テニス部は強かったので厳しく、練習もハードでした。おかげさまで九州大会や全国選抜も出ることができました。あと1ポイント取っていればテニスで大学に行っていたかもしれません。そのような試合が2試合ありました。しかし、

 

私の中で少しこだわりがありました。というのは、1年上の先輩も同級生も理系の人はみんな2年生の夏でやめてしまいました。

 

理由は勉強をしないと受験に間に合わないから。ということでした。

 

勉強をしているから、部活ができない。というのは自分の中で腑に落ちませんでした。文武両道

 

だから現役合格にこだわりました。3年の夏に九州大会に出て、から勉強していました。その時、ある国語の先生に教えていただいたことが国語を学ぶきっかけになっています。それは、漢文がさっぱりわからず苦手だ。ということを副担任の今年最後で定年の先生に伝えると、薄い問題集を渡してくれて、これをやりなさいと言われました。これを勉強したところ急に取れるようになりました。

 

イマ考えてみると情報の下敷きを入れることを行ないました。

 

そして、理解できるようになったということです。3年の夏は国語をとにかく勉強しました。おかげさまで、受けなかったセンターの問題結構取れました。

 

でも、他の成績もそんなによかったわけではありませんでした。

 

私は当時、農学部のバイオの方に行きたいと思いました。

 

が、転機が訪れました。それは、高校3年の9月でした、夕食を食べたあとに、食事をしていると、母親から、実家の会社松井商会を継ぐのであれば、薬学部に入って欲しい。という話がありました。私の将来の夢は「松井商会を継ぐこと」でした。これは本当に思っていました。父が上手く見せていたのかなと思いました。小さい頃からの夢でした。

 

そこで、継ぐのであれば薬学部も良いのかな?と思いましたが、私の性格は薬学部には真逆でした。適性検査で一度も出てきませんでした。

 

体育学部は出てきましたが、(ある意味体力には自信がありました)

 

薬学部考えたこともありませんでした。しかし女の子が多い学部だし。なんて考えて、行くことにしました。国立に行くには科目が足りないので、私立にもらうことになりました。そうすると、間に合うのが埼玉の城西大学がありました。10月の前に急に変更ですので。自分でも驚きました。学校の先生はもっと驚いて、どうしたものか?という感じでしたが、無事合格しました。埼玉ですが、すごい田舎で駅を降りたら田舎の香水がする地区でした。合格したらこちらのものということで楽しみました。

 

これが間違いでしたが、残りの高校生活を楽しみました。

 

 

 

大学に進学後は、かなり展開が変わりました。と言いますと、生物を専攻していない私には、全くわからずついていけなくなりました。しかも覚えることが苦手で、覚えられない状態が続きました。また、体育会の血が騒ぎました。

 

大学ではテニスは遊び程度でと思っていたのですが、やっぱりテニスがしたい。という気持ちが湧き、途中から体育会に入りました。今考えてみると体育会はとても良かったです。テニス漬けの毎日にもなり、勉強時間は寝る時間になってしまいました。本試験を受けても受からず再試験で拾う日々が続きました。

 

最大のピンチは2年生の時でした。前期試験終了後に5個中4個落としてしまい、あと2科目で留年となりました。そして後期試験では10科目の再試験睡眠時間ほぼ無しでなんとか受かりました。それから3年生にもなったからも一向に変わらず、3年の冬には覚えることができずについに物に依存しました。

 

キオークマンって知っていますか?

 

調べたら未だに売っていました。それを買って物に頼って進級しました。そうしたら、なんと実家にも同じものがありまして、親子2代で記憶力が悪いということでした。しかも行動が一緒とは。

 

そんな私でしたが、なんとか4年生になることができ勉強をしていなかったので、親に頼んで夏期講習というものに行かせていただきました。

 

親のすねをカジッタ私は一応勉強をして、(まさか3年間通うとは知らず)その後のテストではなぜか上位3分の1になりました。当時75%くらいの人が受かったので、安心しました。

 

でも全く知識がないのになぜ良かったのだろう?運が良かっただけでした。

 

そこからが、また勘違いの人生で、勉強をほとんどせず、してるふりというか、本当に頭に入っていなくて、春の最終模試では今でも忘れない下から1番を取ってしまいました。こりゃ、卒業できない、バイトしてなんとか半年クリアしてお金を貯めて、後半頑張るしかないのか?なんて考えていたら、神風が吹きました。それはなんと、その年は再試験で全員合格卒業という変なことが起こりました。それで、卒業は出来ました。実はこの絶対に受からないと思っていたので、願をかけました。それは、その当時付き合っていた今の嫁に「卒業できたらプロポーズしよう。」

 

 

 

エピソード2

 

 

 

そうして決めて、テストに臨みました。その後全員通りましたので、卒業できました。そして、めでたく???プロポーズをしました。プロポーズは嫁さんが、私の部屋に来ていたのでそこでしました。一応OKだったような気がします。

 

そして、1回目の国家試験。落ちました。全くわからなかった。

 

その後、落ちるとわかっていたので、落ちる前に嫁さんの実家に行きました。

 

実はお義父さんとあったのは、お義父さんから見ると最低の気分の時に会いました。それは、義母が亡くなった通夜の時でした。当たり前ですが、嫁さんと一年付き合い全く見ることもなくずっと娘が遅く帰るのを知っていましたので、とても気分が悪い状態でした。

 

ただでさえ居場所がなかったのですが、そのような状態での挨拶。

 

当然、厳しい結果でした。その日は、シーンとした感じで、終わりましたが、

 

奇跡がおこりました。それは、大学4年生の調剤実習の時で大学病院に実習に行った際のことです。お父さんは2週間に一回大学病院に通院していまして、その、私の研修先と同じ病院でした。また、その研修の期間と重なり、何千人と患者さんが来る中、たまたま私がお父さんを呼ぶ順番となりました。そしてお父さんのお名前を呼んで。「純さんとお付き合いさせていただいてます松井です。」とお伝えさせていただきました。その時の安心したお父さんの顔が今でも思い出されます。それから、「たっちゃん」と呼んでいただくようになりました。

 

予想通り落ちました。漢方薬局に就職が決まっていましたので、新入社員研修の際に「誰が落ちたんだろうね?」という言葉が胸に刺さりました。

 

その後、解雇されることはなく、勤められたので、一番営業になるように頑張りました。その後は冬から3ヶ月の予備校通いをしました。

 

ここでは、全くチンプンカンプンから、少しわかるようになりました。

 

3月に試験がありました。それまでは、いけるかな?という感じでした。しかし実際に受けた時当時65%が合格ラインでしたが、自己採点で1点足らない!

 

実際は記名ミスがあれば、何点か足らないかもしれませんが、確実に1点足らない。でも今回は難しかったからボーダーが少し下がるかも?なんてことを考えておりました。しかし現実は甘くなく2回目も落ちました(涙)

 

さすがに今回は凹みました。家の近くの焼き鳥で嫁と二人で残念会をしました。もう受からないのでは、薬剤師なるのは諦めた方が良いのでは?なんて考えました。

 

でも、松井商会で役に立つのなら、と思い親にお願いしてもう1度受けました。

 

3回目のために半年休みました。会社もパート扱いになりました。

 

そして予備校に通いました。この時にタバコを吸うことになりました。薬剤師でタバコの害をお話しないといけないのに吸い始めました。というのは8割以上の人が吸っていたので、仲間になれるようにという感じでした。今はやめました。そして、3度目の国家試験を受ける前に嫁から言われた言葉がありました。

 

何かと言うと世の中には2つの言葉がある「3度目の正直」「2度あることは3度ある」という2つの言葉がる。どちらが本当か身を持って体験したい。

 

ということでした。(苦)

 

3度目は75%位取れたのでマークミスなしであれば、合格という感じでした。ということで結婚式場を見に行き、就職も決めました。

 

次は24名程度のちょうど今の会社と同じ規模の会社を考えました。

 

また、男性が少ないことも自分が任していただけることも多いと思い調剤薬局を選びました。

 

薬剤師になってから、すぐに働きました。GW付近ですごく忙しく今の自分に

 

できることは何なのか?を考えて動きました。

 

と言っても入社数日でできることは限られていました。

 

その後働かせていただき、本当に社長には可愛がっていただきました。こうしたら人は動くのだなあ、とも感じましたし、私が至らないところはアドバイスを頂戴しました。4年間勤務の中でエピソードはたくさんあるのですが、一つ。

 

調剤薬局というのは常に100点を取らなければならない仕事でした。そこでの調剤ミスがあり、管理薬剤師である私が薬を届けにお詫びに行った時です。
精一杯お詫びしたのですが、「殺す気か!」と言われました。もう15年以上も前なのですが、未だに思い出されます。

 

私自身薬剤師には向いていない部分もあったのですが、本当に単純な作業でも厳しい仕事だと心から思っております。

 

そのようなこともありましたが、本当に勉強になりました。上司の方にも恵まれて、とてもありがたかったです。

 

さて、4年間お勤めさせていただき松井商会に戻りました。

 

私が夢にまでみた、松井商会で親父と仕事をすること。夢が叶いました。

 

しかし、親父とは、毎日の様に喧嘩していました。

 

今考えてみると私が未熟だったです。

 

戻ってきてから一年が経ぎ、夏のある日に夕方母親から電話がかかってきました。父の検診の件で一緒に病院に行って欲しい。という話でした。病院では、父親が食道癌の初期と言われました。父にはそのまま説明してもらいましたが、嫌な気持ちになりました。というのも祖父も食道癌で亡くなったので、最悪なことにならなければ良いなあ。と思いました。元気が取り柄の父でしたから。初期だから大丈夫だと、話をして手術をしました。終わった後にぞっとしました。嫌な予感は当たってしまい、転移がありました。

 

手術から1年で亡くなってしまいました。最後はホスピスにいた時に「くやしいなあ!」と言ったのが心に響いています。

 

そうして31歳で社長になりました。

 

それから現在まで12年経ちました。ここの話は、エピソードがたっぷりありますが、一言で言うと自分が未熟者でした。

 

学ぶことはとても大切だと思います。4年前に別府市倫理法人会に入会し、それから、アクティブ・ブレインセミナーの講師になってからは特に、自分の言葉の深みを考える様になりました。

 

昨年からは、学ばせていただいております。

 

 

 

エピソード3

 

 

 

アクティブ・ブレインセミナーとの出会いをお話します。

 

アクティブ・ブレインセミナーとはアクティブブレイン協会の会長小田全宏先生が、記憶力と人間力をマッチングした3日間のセミナーとなっています。

 

そこで、私が出会った話をさせていただきます。

 

能力開発と言えば、アクティブ・ブレイン

 

記憶力アップと言えば、アクティブ・ブレイン

 

2日間もしくは3日間で飛躍的に自分の脳力がアップすることを体感いただくセミナーなのですが、今私も講師をさせていただいていますが、自分が人にお伝えする基準として、10倍の価値が有ると思ったので講師を目指しました。

 

そのアクティブ・ブレインとの出会いは2年前となります。

 

歯科医院の先生から、このセミナーいいよ。って言っていただき、それならばということで、受けました。私自身なんのセミナーかわからず、受講しました。

 

そこで、感じたのは、すごいセミナーだ。雷に打たれたような衝撃を受けたというのは大げさに聞こえるかもしれませんがそれくらい衝撃を受けました。電気が走りました。

 

そこで自分の中でこれを伝えたいという思いが、芽生えました。

 

2日間のベーシックのあとアドバンスコースを出て、そこで、驚きました。

 

私の中から10分間素晴らしい話が滝のように溢れてきました。

 

そして、講師という世界があるということを知りました。

 

最初は、懇親会の際に小田先生から「松井さん講師目指したら?」と聞かれて、イエイエと言っていたのですが、いつの間にか、「講師を目指す!」と懇親会の中で変わっていきました。

 

というのも、九州に本当に伝える人が少ない。医療系の方も少ないので、多くの方に知ってもらいたい。ご存知の通り憶えることができなくて本当に苦労しましたので、やり方を変えたら記憶できることを知っているのにお伝えしないなんて、と思ったら伝えずにいられなくなりました。よし、講師になって歯科業界、九州に恩返しをしよう。と思いました。

 

妻からは、なれなかったらどうするの?お金無駄だよ。と言われましたが、新しいことを行いたいと思い始めていたので、これはやろう。という感じになりました。

 

そこからです。本気で講師を目指しました。忙しかったことも幸いして、できる時間でどうすれば良いか?自分の中で妄想をし始めました。

 

それは、本当に面白く、勝手に3ヶ月という目標で講師になると思いました。でもそれが結構無謀だとも、後で聞きましたが、行くしかないという思いで、行いました。

 

講師養成コースでは18名いました。みんな立派な方ばかりでした。

 

そこで小田先生から「いつごろ講師になりたいの?」と聞かれて、3カ月です。と話すと、1日3時間以上は勉強しないとね、と言われました。

 

それから、本気モード睡眠時間を削り、勉強しました。

 

勉強と言っても何がメインかというと、ファシリテートの力を磨くことです。今も思いますが、一言でも伝えるキーワードを伝え忘れると、違う方向に受講生が進むことがあります。それくらいアクティブはしっかりとしているプログラムでした。

 

講師になるためには2回試験があります。

 

プレ講義という講演で、2日間の内容を1日で行います。

 

プレセミナーは、仮免許試験で2日間の内容を受講生を集めて実際にセミナーをしてビデオに撮っていきます。

 

そして、その中で、伝える中で受講生が本当に自信に満ち溢れていく感覚を体感しました。プレセミナーの最後は感極まって泣いてしまいました。

 

実際に楽しく行えました。ベストを尽くしました。

 

そのご、3週間あまり12月13日に連絡をいただき88番目の講師になりました。

 

それからもう30回以上のセミナーを行っていますが、毎回感動しますし、嬉しい思いでいっぱいになります。人が変わる、輝き出す瞬間を見ることができ、応援することができるセミナーで本当に感動しています。

 

毎回今日は良かったーと自分に言いたくなるセミナーです。

 

多くの方が知ってもらえると良いなあと思っています。

 

現在は2日間のベーシックセミナーと、読書法、学習法、そして、セルフリーダーシッププログラムと行うことができます。

 

また、顔と名前を覚えることが苦手でしたので、どうすれば少しでも覚えることができるか?

 

ということで「顔と名前を憶える本」の電子書籍と小冊子を発行しました。

 

多くの方が苦手としており、私も苦手でしたので、お伝えできるのではと思いまして。発行しています。ぜひご一読ただければ幸いです。

 

以上自己紹介でした。

 

皆様が、素晴らしい人生を歩んでいく中で、このアクティブブレインセミナーは、きっとお役に立つはずです。

ぜひこの2日間を自分の可能性に投資してみてはいかがでしょうか。

アクティブ・ブレインセミナーのご紹介動画です

著書のご案内

「顔と名前を憶える本」

kindle電子書籍にて、発売開始しました。¥580円にて販売開始です。ダウンロードは上の表紙及びこちらから。



現在募集中セミナーです チラシをダウンロードできます。




合同会社 想真(そうま)

松井 達治

〒874- 0834

大分県別府市新別府4組

Tel: (070) 1947-0218

Fax:(0977)26-5795



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